神様

僕らは「神」という言葉を間違えて覚えてしまっている。

SPONSORED LINK

最近は本当にスピリチュアルにハマっていまして、そうするとよくイエスキリストなどの宗教の話が出てくるんです。

僕はこれまで、そうした宗教関係の話に関しては全くといっていいほど耳を傾けてきませんでした。なぜなら神様なんて信じていないし、これから先も信じようだなんて思わないからです。

だけど、ですよ。知れば知るほど、神様とされるイエス・キリストの言葉も、ブッタなどの言葉も、物事の真理を”正しく”表していることに気づいてくるんですよ。

ここでは「正しく」という表現をしましたが、これはいわゆる善悪などの形あるものを表してはいません。人間の深くて形のない次元を「正しい」という言葉に当てはめて説明したまでです。

 

このように、僕も含めて多くの人は「神」という言葉を間違って解釈をしています。

一見「神」という言葉を見たり聞いたりすると、僕らはすぐにイメージとして「崇めるべき対象」を思い浮かべませんか?

例えば、「お守りには神様が宿ってるんだ!」と思ってみたり。他にも、神社やお寺にいって大仏さまに祈ること、つまり大仏が神様だと思ってみたり。またはそれこそ、イエスキリストのような人物を神と崇めてみたり。

そうやって、僕らは「神」という存在を概念化したイメージで覚えてしまっているんですよね。

しかし、神という言葉もまた、人間の形のない次元を言葉で表したものにすぎず、本来は誰もが神であり、だれもが神様なんですよ。

 

例えば、イエスキリストのヨハネの福音書(十四章六節)にはこんな言葉があります。

私が道であり、真理であり、生命です。
I am the way, the truth, and the life.

これを言葉のまま解釈すると、あたかも「私、イエスキリストに従いなさい。」と言っているかのようですよね。実際に熱狂的なキリスト教信者の多くは、このように解釈してしまっているようです。

しかし、この言葉からイエスが伝えたかったのは「『あなたこそ』が真理である」ということなんですよ。他人に真理を探し求めていたら、おそらく騙されてしまうだろうと。

だからイエスは「私が道であり、真理であり、生命です。」という直接的な言葉によって伝えようとしていたのです。

 

どんな言葉も、それは真理を指し示す指標に過ぎません。そこに実体はなく、物事の真理は「なるほど、それだったのか」と頭で理解できるものでも、「ここにあったのか」と探し求めれば見つかるものでもないと。

それを表した言葉が、聖書にはあるようですね。

あなた方は『ほらここにある』とか『あそこにある』とか言うことはできないのです。なぜなら神さまの王国はすでにあなた方の中にあるからです。
You won’t be able to say, ‘Here it is!’ or ‘It’s over there!’ For the Kingdom of God is already among you.”

言葉というのは、知る側(わたし)と知られる側(ものや人)の相対性がなければ成立しません。なので、見えないもの、形のないものを説明することは不可能なのです。

しかし、僕らは形がないと知りながらも、意識によって言葉を使うことができるわけです。そして無意識か意識的かは分かりませんが(おそらく無意識の人が多い)、人々はその形ないものを求めているのです。

でなければ、イエスの言葉や聖書はこんなにも広まらなかったでしょうからね。十字架に吊るされたあのシンボルも、多くの人々がそこに”なにか”を感じたからこそ、イエスの象徴にされているのだと僕は思います。

 

そうやって、「神」という言葉を「特定の誰か」であったり、「崇めるべき対象」として考えなければ、なにも不思議なことではないんですよね。だって、誰もが「生きる意味」みたいなのを探して、この世を彷徨ってるわけですから。

ただ、その答えを「神様」という特定の人やものに求めるのは、やっぱりちょっと違うわけです。僕は聖書を熟読したわけではありませんが、イエスはきっと「自分の中にいる神様を見つけなさい」という、ただそれだけを伝えるために、そこに向かう道しるべとして言葉を残したのだと思います。

 

最後に。

僕らは地球という場所に住んでいるわけですが、宇宙の99.9999%は空間によって構成されているわけです。地球が存在できるのは、この空間があってこそです。

同じように、僕ら人間にも形のない次元がなければ存在できないはずです。

人間の肉体は確かにそこにあるように見えますが、原子の大きさと比べると、原子と原子の空間は計り知れないほど大きいのです。さらにその原子もまた、広大な空間によって構成されていて、それはもう人間の理解をはるかに超えています。

つまり、ですよ。僕たちってのは、ほとんど空っぽなんですよ(笑)。人間に限らず、この世にある99.99999999%の物体と呼ばれるものは、空間によって構成されているのです。

この空間を感知することは不可能ですが、確かにそこにあると意識を向けることができる。それこそが「神の存在」そのものであるというのなら、僕は神を信じたいと思います。

もちろん、信じるというのは言葉であり、頭の中の思考がすることなので正しい表現ではないのですが、文脈上こうなってしまいますね。

 

誰もが求めているものは、実は誰もがすでに持ってるという、皮肉にも灯台下暗しのような人生を僕たちは今も送ってるのです。

その事実に気づかせてくれるためにこの物質的な世の中があるとするのなら、今の消費社会も悪くないのかもしれませんね。

お金も、車も、家も、地位も名誉も、人間関係も、恋人や結婚相手ですらも自分を満たしてはくれないと気づいたとき、ようやく人間はこの空間を認識するようになるのかもしれません。

だけど1度この事実に気づいてしまえば、もう物や人、社会にだって流されることはなくなります。なぜなら幸せと呼ばる神様は、常に自分の中にあるのですからね。

あとはこの意識の中でどんな人生を送っていくか、ただそれだけで、こっから先は完全にアートの世界ですね。

言葉では表すことのできない意識によって、僕はこの世の中を生きてゆきたいと、そんなことを考えるようになった22歳の夏でした。

 

といったところで、読んでくれてありがっとう!!

みやあき
我こそが神であるっ!!!!

SPONSORED LINK