奴隷と独裁者

「人の役に立つだけの奴隷」と「エゴイスティックな独裁者」の間になろう。

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自分の価値を最大限発揮して、社会にも貢献するためにどうすればいいか、考えたことをまとめました。

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「人の役に立つだけの奴隷」にはなれない

僕は特にやる前から「自分にはできっこない…」とか「僕がやるべきではない」といって目の前の課題から逃げがちなタイプなんですよ。

で、それでも上手くいくことがあります。というか、世の中はその方が上手くいくようにできているので、学生のときはそうやってよくみんなの波に流されて生きていました。いやぁ楽だったなぁ…(;’∀’)w。

でもね、そんな生き方はクソほどつまらないと高校生のときに身をもって体感したんです。周りに流されて普通の大学に進学していたら、今ではロボットでもできるような就職先を探していたでしょうね…。考えただけでゾッとするぜ!!

どんな仕事も社会には必要ですが、自分じゃなくてもできる仕事をわざわざ自分がやる必要って、考えれば考えるほどに理由が見当たらないんですよ。

だってさ、そもそも論のそもそも論すぎて説明する必要もないよね。ぼくぁロボットじゃないんだもん。

なんで、そんな仕事をしてるとたぶん僕は「俺の生きる目的ってなんなんだ…」と鬱になって、死ぬので、人や社会の役に立つだけの奴隷にはなれません。

「エゴイスティックな独裁者」にもなれない

じゃあ逆に「俺にならできる!」と常に自信満々でいればいいのかというと、それも違うと思っているんですよね。

たとえ僕にしかできない仕事があったとしても、それが人より優れているとか劣っているって話ではないんだもん。

マッチョとガリガリ

例えば、筋肉むきむきマッチョの人と、骨しかないガリッガリの人。確かに体系的にも能力的にもマッチョな人が優れているんだろうけど、それで人として優れているだなんて思うのは幼稚だし、傲慢だし、どうかと思う。人間として魅力がないよね。

で、歴史を見ればわかる通り、そうやって「自分」と「他人」を比較して優劣をつけ他人を差別的に扱ってきた独裁者は、みんな滅んでいますからねw。たとえ素晴らしい能力を持っていても、エゴイスティックな人というのはそういう運命を辿るしかないのです。

僕は自分だけよくて他人はどうでもいいとは思えない優しい人なので、エゴイスティックな独裁者にもなれません。

“私”という概念を捨てれば、やるべきことは見えてくる

そこでいたった僕の結論は”私”という概念を捨てることでした。

勘違いちゃいけないのは、捨てるのは”私という概念”であって、”私自身”ではありません。それは奴隷になるようなものですからね。

“私”という概念を捨てれば、やるべきことは自然と見えてくるんですよ。

例えばほら、こうして顔を出しながらブログ記事を書くのは僕の能力であって、やるべきことなんですが、ここに”私”という存在を見出そうとしたとたん、何も発信できなくなってしまうんです。

ものづくりをしている方、もしくは悩みを抱えているときを振り返ってもらうと分かると思うんですが、大抵悩むときは頭の中でこの”私”という存在が邪魔をしているんですよ。

「私がこんなことをするなんて…」

「私はこんなタイプじゃない…」

「私の自己イメージが崩れちゃう…」

これらは全て、エゴです。こいつを捨てないと、何も始まらないのですよね。

アインシュタインが自分の業績と自分自身を同一化しなかったように、自分を大きく見せたり、逆に小さく見せたりしなければ、やるべき目の前のことに全力で取り組めるのです。

 

日常生活の中で、いかにこの”私”という存在を頭の中から消去できるか。これは毎日のように取り組まなくてはいけない僕の課題ですね。

いやぁほんと、人間ってのは自分が一番大好きな生き物なんですよねぇ。でもそこにしがみついていると、お金も幸せも手にできないという、よくできた仕組みになっているんですよ。

自分を捨てよう。他人に貢献しよう。それが自分も社会にとっても一番貢献できる唯一の方法なのだから。

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