「のどごし勝負」の世の中に「数値化できない価値」を見出せるのか。

数値化できない目に見えない価値
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いまのインターネット社会を的確に表してる記事があったのでご紹介。

めっちゃ共感して考えされられてので共有っと。

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のどごし勝負。事実なんてものは誰も求めてない

弊誌のあるスタッフが「バズ」という現象についてうまいことを言っていた。記事が食べ物だとするなら、いま「読まれる記事」は、とにかく「のどごし勝負」だと言うのだ。栄養価でも、味でもなく、ただひたすら「のどごし」のいいもの。それだけが読まれ、消費されていく。それこそが「バズ」というものの正体であり、まさに、マケドニアの若者たちや件のゲーム会社が見抜いていたことでもあった。factは問題外。ただ自分の愛着や憎悪の依り代になればいい。ただそのためだけの情報。

「ニーズ」に死を:トランプ・マケドニア・DeNAと2017年のメディアについて

インターネットはもともと"正しい情報を見極めて自分で取ってくる"場所であって、嘘とか事実と違うことがあって当然の場所だったんです。

でも今の時代はもはや、本当に事実かどうかなんて誰も求めてないんですよ。たとえそれが真実であっても、面白くなかったら誰も見向きもしてくれない。

芸能人の不倫とかもそうだけど、受け取る側は事実かどうかなんて本当にどうでもよくて、嘘だろうが面白ければメディアは取り上げるだろうし、それで読者は満足しちゃうんです。

それでいてメディアにはお金が入るし、読者は嘘でも面白いから喜ぶ。真実じゃなくてもお互いWin-Winな関係になれてハッピーになっちゃうってのが今の社会。

デジタル社会が生み出す格差

デジタル化する社会というのは、言うなれば数値化できるものを極大にまで価値化しようとする社会だ。そこでは可視化できたものだけが、価値とされ、見えないものは無価値とされる。数値化できるものは「科学的」であるがゆえに「真」であり、科学的に「真」であることは「善」でもあると強弁したがる経済の論理に、テクノロジーは喜んで手を貸すだろう。なぜなら、現行のデジタルテクノロジーは、経済が求める効率化・合理化をこそを最も得意とするからだ。

SNSならフォロワー数、ブロガーならPV数、YouTuberなら動画の再生回数・チャンネル登録者数みたいに、"見える化"されたものってわかりやすい価値で、一瞬でその人を判断できるんですよ。

YouTube上で過激なことをして再生回数を伸ばした。それが価値として低いものであっても再生数は伸びるから価値が高まる。さらにチャンネル登録者数が増えるから満足というわけだ。

僕も炎上するような記事書けばPV数が伸びるからそれだけ収益も上がるから、表面的にみたらいいことだけのような気がします。

でも、そうした”目に見える数値化された価値”だけじゃ世の中まわらないよねってのが筆者の考え。

けれども、テクノロジーがそれを得意とするからといって、それが自明のものとして社会に益をなすわけでもないことは歴史がさんざん証明してきたことだし、そもそも数値化できるものだけで社会は構成されてはいない。「ニーズ」「ニーズ」と言う輩に限って、実際は金にならない「ニーズ」は無視し続けるものだが、理由は簡単で、現状の数字の原理ではその価値を測定できないからだ。

目に見えるものばかり追い求めても、ニーズってだいたい見えないところにあるから、本当の意味での"価値"は生み出せてないと思うんです。

でも、作る側としたら数字が上がるのは嬉しいんです。自分の価値が数値として見える化されてどんどん上がっていきますから。

いいか悪いかは別として、2017年は「数字を求める人と数字を求めない人との格差社会」がより広がってくるのかなと。

それにしても、この「数値化できない価値」というものは、もはや都市伝説や幽霊のような存在になりつつある。「数値化できない価値はある」と信じるか、信じないか。信じる者と信じない者の乖離は、ますます広がって、もはや修復不能なほどにまでなっている。

そもそも「数値化されるものが悪で、見えないものに本当の価値がある」という"事実"はどこにもないわけで、そのバランスが傾くと今の時代は生き残っていけないんじゃないかな。

世の中に真実なんてものはなにひとつないのだから、「見えないものに価値」を置く人も、見えるものに価値があるとされる今の時代に適応しないといけない。

いつの時代も環境に適応した生物だけしか生き残ってないですからね。

見えない価値を意識したのどごしコンテンツを作りたい

目に見えない価値とのどごしを意識したい。

僕はもともと見えないものに価値を感じる側の人間でして、コンテンツを量産するよりも、時間をかけて一つのものを作る方が好きなタイプでした。

でも今の時代、1週間で1個のコンテンツを作るより、1日で2、3個コンテンツを作る方が価値があるとされてしまう。良い悪いではなくて、事実こうなってしまってるよね。

どんなに低レベルな作品であっても、コンテンツを作りながら修正できるし、新しいもので上書きできる。インターネットはそういう世界なんだけど、まだ気づいてる人は少ないよね。だから格差って広がっていっちゃうよね。

でものどごしばかり意識したコンテンツ作りをしてたらいつか死ぬと思うんです。低価格競争に負けて「うちにはお金以外なにもありません!」ってなったら、終わりじゃん。

たとえ値段が多少高いお店であっても、そこに"見えない何か"を感じる人は足を運ぶわけで。そういうお店なりクリエイターは、ずっとこの先も残れる社会ではあるのかなと。要はバランスですね。傾きすぎてはいけない。

見えない価値ってなんだろう

その"目に見えない価値"ってなんだろうねって考えて言葉にすると、おそらく「雰囲気」とか「なんか感じること」っていう曖昧なものなんじゃないかな。

スタバに行ったらそこら辺のコーヒー屋さんより「なんか美味しそう」に感じるし、アップルには「なんか使いやすそうだしかっこいい」というイメージがあります。

言葉にするのが難しいけれど、見えないものっておそらく、見えるものよりも価値があるはずです。

それを見えないものとして表現できれば、なんだけどね。

ユーザーの本当のニーズを探していたい

それを求めるのがクリエイターであったり起業家なのかなと。

目に見える数字だけを伸ばすんだったらそう難しくないと思うんです。目的が明確だから手段はいくらでも浮かびます。

そこにさらに"目に見えない価値"を付け加えるのが難しい。

おそらくやってれば自然とついてくるものだとは思うのだけれど、ただ数字を求めるのと、見えない価値を意識しながら数字を求めるのとでは、結果として大きな差になるんじゃないかな。

 

僕はこれからも目に見える数字を追い求めつつ、「世の中が本当に求めてる見えないニーズってなんだろうね」と考えてものづくりしていきたいなと。

短期間で見ると成長は遅いかもしれないけど、長期間でみたら絶対に価値がある。そう信じてやっていきます。

そんな感じかな。そいでわ!

数値化できない目に見えない価値

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