感情

感情を表現するだけでは、人が幸せになることはない。

SPONSORED LINK


抽象的なものごとを言葉で表そうとすると、途端に頭からすっぽりと抜けてしまうので、最近はあまり考えていることを発信しなくなってしまったのですが、この感覚はうまく表せそうなのでブログに記しておこうと思います。

僕のようにスピリチュアルな分野、精神世界が好きな方にはオススメです。

これまで見ていた自分の世界が、信じられないほど一気に広がるはずですよ。

…って言い方をすると、なんだか怪しい宗教っぽいので好きではないのですが、それでもこれは真実であり、いずれ人間の常識となりうるものですから、僕が500年早めにみなさんに教えます。

さぁ、豊かな人間の新たな境地へおいでませ(⌒-⌒)。

SPONSORED LINK

感情を表現することによって、人が幸せになることはない。

さて、人間は色々な感情を表現しますよね。

感情を表す言葉でよく使われるのは「喜怒哀楽」です。

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだりと、人間には色々な感情を表現する方法があるわけです。

しかし、なぜ人間は感情を表に出すことを拒まれるのでしょうか?

あなたが喜びの感情を誰かと共有しているときも、怒りの感情を共有しているときも、本質的には同じことです。

しかし、楽しんだり喜んだりするのはよくても、なぜ哀しんだり怒ったりするのはダメとされてしまうのでしょうか?

「ポジティブな感情しか表に出せない」なんてルールはもちろんありません。

しかしながら、ネガティブな感情を表に出すことは社会的にも拒まれますし、自分の中でネカティブな感情を抱くだけで、「これはいけないことだ」と思ってしまいがちです。

 

「いい感情」と「わるい感情」なんてものはない。

「私はあの人が好き」という感情と、「私はあの人が嫌い」という感情。

この2つに違いはありません。

そもそも、人間の感情を「良い・悪い」で分けなければいけないなんて、おかしな話です。

誰かに殴られたらムカつき、感謝されたら喜ぶように、誰しもが同じような感覚を持っていて、そこに優劣はないはずです。

「怒ってはダメだが、喜ぶのはいい」だなんて、道徳的には正しくても、それは自分を人間として偽ることになりますから、本当の意味での正しさではありません。

この「社会的・道徳的な正しさ」と「本当の自分」の間にある違和感こそが、僕たちを悩ませ、不幸にしている原因であり、現代における人間の矛盾点でもあります。

そこから抜け出そうというのが、今回のテーマです。

 

そもそも、なぜ人は感情を表現するのだろう?

この話を理解するためにはまず、「人はなぜ、感情を表現するのか?」という本質を少しだけ知る必要があります。

僕は思うに、それは「誰かに自分を満たしてもらいたい」という気持ちが、少なからずあるからです。

喜びも、怒りも、悲しみも、楽しみも、どれも1人だけで満たされものではありません。

感情を抱くだけなら言葉なんて必要ないし、友達を作ったり、恋人を作って結婚するような、人との関わりを求める必要もないでしょう。

どんな感情にしても、それは表に出すことによって「誰かに満たしてもらえる」という思いがあるからこそ、踊ったり、騒いだり、泣きじゃくったり、キスをしたりして、人は様々な感情を表現するのです。

 

相手が自分を幸せにしてくれることは、ない。

「誰かに満たしてもらいたい。幸せにしてもらいたい。」

これは人間なら誰しも抱いている感情ですが、この中に本当に幸せになる答えはありません。

「誰かに幸せにしてほしい」という気持ちは、言い換えれば「自分の欠如感を補ってほしい」という気持ちの裏返しで、自分にないものを相手に求めているのです。

でも、自分を満たしてくれる存在は他人ではないのですよ。

 

たとえば、ここに恋愛中の2人の男女がいます。

彼らはお互いを愛し合い、「彼・彼女こそがお互いを幸せにできる存在だ!」と確信し、婚姻届にサインをして夫婦になりました。

最初はポジティブな感情だけを共有しあい、これまで通りの幸せが続くでしょう。

しかし、次第にお互いの不満な点がみつかり、これまでとは違ったネガティブな感情も相手にぶつけるようになります。

その結果、これまで愛していたはずの相手を、こんどは憎らしく思えてくるようになり、最終的には「この人は、運命の相手ではなかった。」と、相手が自分を満たしてくれる存在ではないと知った途端に、離婚をしてしまうのです。

これは極端な例ですが、相手が自分を幸せにしてくれると信じて破滅するケースは、友達や恋愛・夫婦などの様々な人間関係でよくあることです。

ほとんどの人間は「他者」を求めて関係を築くのではなく、自分の「幸せ」を求めて他者との関係を求めているのですが、それが上手くいくことはないでしょう。

 

これは物でも同じことがいえます。

高級な車や高層マンションなどによって自分が満たされると思い込んで、稼いだお金をどんどんと物に注ぎ込む人がいますが、お金がなくなった途端に、自分の価値を見出せなくなって人生の目的を見失ってしまう人も多いです。

つまり、自分に足りないものを、自分の外側に求めている限り、幸せになれることは永遠にないのです。

感情は、人を幸せにするためにふさわしくない。

つまり、「誰かに満たしてもらえる」という感情から生み出される表現は、たとえどんなものであっても、幸せになるための手段としてふさわしくないのです。

喜びの感情だけを表現して、怒りやネガティブな感情だけを隠すことはできません。

たとえできたとしても、それは紛れもなく「嘘」です。真っ黒な大嘘です。

 

では、喜怒哀楽の全ての感情を表現していけばいいのでしょうか?

いいえ。それでは自分が正しいと信じているもの以外は受け入れない、道徳もなにもない自分勝手な人間だけがはびこる世界になってしまいます。

環境や人種・宗教観などが違う中で、自分の気に入らないものが1つもない人なんていません。

「黒人が好きで白人が嫌い。」

「イスラム教が良くてキリスト教はダメ。」

「あなたは好きでも、私は嫌いだ。」

そんなお互いの主張をぶつけ合うだけでは、世の中の問題は何も解決しませんし、誰一人として幸せになれないのです。

 

感情を超越した「意識」の状態へ。

感情を制限しても、制限をなくしても誰も幸せになれない。

僕らは幸せになるために、次の段階へと進まなくてはいけないのです。

 

次の段階とは、人間の「感情」や「思考」を抜け出した「意識」の状態です。

それは簡単に表すと、『目の前の出来事によって生み出される「感情・思考・マインド」を、意識によってコントロールする』というものです。

シンプルだけれど、抽象度が高いので理解するのは難しいでしょう。

というよりも、もはやこれは「頭で理解する」という次元ではないので、僕はこうして言葉で表すのにけっこう苦労しているのです(笑)。

しかし、言葉にすることによってまた見えてくるものもあるので、こうして文字で書き記しています。

 

あなたは、感情・思考・マインドによってコントロールされている。

人間の感情はよく「本能」という言われ方をされますが、言い換えればそれは「感情」であり、頭の中による「思考」によって生み出されている感覚です。

でも、頭の中で考えていることは全て幻想であり、この世の中に存在するものではありません。

にもかかわらず、多くの人はこの「感情」を生み出す「思考」という名の幻想によって、人生を無駄に過ごしているのです。

 

この記事を読んでいるあなたは、本当にこの記事を読んでいますか?

頭の中では、「次はあれをしよう…」とか、「もうそろそろ読むのやめようかな…」なんて、今やっていること以外のこと考えているんじゃないでしょうか?

家事をしながら、実は仕事をのことを考えていたり。

仕事をしながらも、意識はまったく別のところに向いていたり。

そうやって、多くの人は頭の中のおしゃべり(マインド・思考)によって、今を常にコントロールされながら生きています。

これはよく「無意識の意識」とも呼ばれているもので、多くの人はこの「自分のマインド」にコントロールされているということにすら、気がついていません。

また、頭の中のおしゃべりこそが、自分だと信じ込んでいる人すらいます。

 

なんの欠如感もなく、満たされた状態へ。

頭の中のおしゃべりをやめ、自分のマインドによるコントロールから抜け出すには、自分が今やっていることに集中しなくてはいけません。

「今」という瞬間は、頭で考えても存在しません。

さらに言うと、過去も未来も、全ては頭の中で作り上げた幻想に過ぎないのですが、ここでは「今」に絞ってお話しします。

 

「今を意識する」ということは、人間の『思考(マインド)』を超越した次元にあります。

これらはよく「悟り」や「目覚め」「覚醒」なんて呼ばれるものです。

この状態は、他者を必要としません。

それどころか、物や宇宙、自分の肉体ですらも、単なる偶像のような感覚になるのです。

この「意識の状態」こそが、人間が幸せになるために到達するべき境地であり、人類が進歩する次のステップなのです。

 

…と、いったところで。多くの人は腑に落ちないと思いますが、僕による言語化はここまでです。

 

まとめ

抽象的なものを、少し具体的な物事にたとえながら話しました。

おそらく、ほとんどの人は「なに掴み所のない話をしているんだ」と思われることでしょう。

それもそのはずで、この境地に達するには、まずどん底の経験をしなくてはいけないからです。

お金もあり、友達もいて、家族もいて、これまで何不自由なく生活を送ってきた人には、この境地に達することができません。

しかし、頭の中で考え過ぎて、挙げ句の果てには「自分なんて価値がない」と思い込み、自殺を考えたことがあるような人には、この境地に達することができるはずです。

なぜなら、彼らは自分の苦悩が「頭の中で作り上げた幻想によって、支配されていただけなんだ!」と、実体験を持ってして到達できるからです。

そうなれば、この境地に気づくのは難しくありません。

 

そしてこの話は、僕が作り上げたおとぎ話でもなんでもありません。

ドイツのエックハルト・トールやその他多くの精神学者とも呼べる人たちによって、この境地は何十年も、歴史を辿れば何百年も前から人々に伝えられてきました。

昔は神のような「偉大な者しか達することができない」と思われていましたが、インターネットの普及によりそれらは一般の人々も到達できる境地として広く知れ渡っています。

おそらく、500年もすればこれは人間の常識となります。

そして、500年後から今を見たとき、まるで暗黒時代だったかのように、今の時代の人々をこう語るはずです。

「え! 彼らはこの素晴らしい世界が、自分のマインドや物質によって生み出されていると思い込んでいたのか! なんてひどい時代なんだ!」

 

「今」にいる自分に気付けるか。

そして自分が見ているものや感じているもの、過去や未来を想像することは、存在しないものを自分が作り上げているだけに過ぎないという事実に気付けるかというのが、このお話のポイントです。

 

この話はドイツのエックハルト・トールの内容を主にしているので、詳しく知りたい方は彼のYouTubeチャンネル「VastStillness」をチェックしてみてください。

宗教観の薄い日本人からすると、こうしたスピリチュアルな話は「変な宗教」とか「おかしな人だ」という感覚を持たれる人もいるかと思いますが、それはそれで、いいんです。

なぜなら、遅かれ早かれ、必ず人類が到達するべき境地だからです。

だから、あなたが「今」、この事実に気づけなくても問題はありません。

もしかしたら、死ぬまで気づけないかもしれませんが、それも問題ではないのです。

でも、「この素晴らしい世界を、本当の意味で幸せに楽しく生きたい」と思いながら生きているのが人間ですから、どうせなら、生きているうちに気づけた方がお得だと思いますよ。

 

と、ものすごく抽象度の高いお話をしてきました。

こうした話は誰のためになっているのかよく分からなかったので避けてきたのですが、この境地を知ってからは「そんなことは、気にするに値しない」と気づけたので、こうして記事にしてみました。

でも、この記事で僕の考えの大枠は発信できたと思っているので、しばらくはこんな抽象的な話はしないつもりです。

この境地のなかで、どう自分を表現していこうかと画策中です。

ここにきて、僕はようやく自分が求めていた真のアートの世界に入っていけそうです。

どんな人生にしようかな…。

と思ったけど、その時点で未来を考えているから意味がないこと気がつきました。

「今、僕はなにをする?」

これこそが全てです。

 

といったところで、終わり!

SPONSORED LINK